ファーリーはよりよい明日を生きたい

That's why a furry studies posthumanity. / 駆け出しの研究者です。ハラウェイ、クィア、ファンダム、動物、機械/AI、倫理とか。

セクシュアル・マイノリティのコミュニティにおけるアイデンティティの世代間差について(および主にケモノ界隈向けの考察)

表題のテーマに関する興味深い発表を聞いてきたので、以下に要約をまとめてみる。*1

…が、これをまとめておこうと思ったのは、同性愛のポリティクスというよりもむしろ(後述するように)マイナー趣向のコミュニティとしての「ケモノ」界隈の人、もっと言えばそこでポリティカルに活動している人に読んでもらいたいから、という動機だったりする。
そのため、要約以降に記述されている内容は主に界隈(の内部を中心とする)関係者が読まないと全く共感を得られない内容になっている可能性が高い。のでご承知おきを。

*1:本当はTwitterに書き散らそうと思っていたのだけれど、あまりにも長大になりすぎるのでブログ使うか…となった

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Animal Welfare Summit 2016に行ってきました

いつもの自分の本拠地で開催されるという情報をもらったこともあって、Animal Welfare Summit 2016に行ってきました。

 

アニマルウェルフェア/動物福祉の問題がもともと自分の関心の根幹にあったか―というと、実はそうでもないのですが
(むしろ「福祉では不十分では?」というのが最近の自分の立場)、

最近の動物*1系(科学)の知人が
「日本社会に〈動物福祉〉の概念が定着していない――どう定着させるか?」
というところをテーマにいろいろと活動を開始しているところ、動物のことにかかわる倫理を研究している――というところで声をかけてもらった次第です。*2

 

一応、元々卒論のテーマがペットだったことから、愛護‐福祉の系譜についてはそこそこ勉強したという経緯もあり、一体どの程度のものかと思って半ば物見遊山的に見に行ったのですが、

まあ、「ウェルフェア」を関したイベントでここまで人が集まるとは思わなかったです。すごい人出でした。

イベント主催がクリステル・ヴィ・アンサンブル=滝川クリステル氏主催の財団がかかわっていて、初日夕方のメインイベントが小池百合子都知事*3を迎えてのクリステル氏によるインタビュー対談だったものですから、

まあ各放送局のテレビカメラから新聞記者から詰めかけ、メインイベントはすごい数の人、人、人。

でも、それ以外のイベントにもかなり人が集まっていたようで、さすが知名度というものの威力を思い知らされた感がありました。

 

……とまあ、ここまでは何の変哲もない上っ面の感想なのですが、思ったことを2つほど。

1.〈犬猫殺処分×ウェルフェア〉という枠組を前面に出したことについて。

現在一般に「動物福祉」と言われているものの出自を辿ってみると、
動物実験における「3つのR」の基準
・家畜の扱いにおける「5つの自由」の基準
という2つの基準の成立があって、動物を使用するという前提は崩さないものの、これらの基準に準じた科学的な検討を行うことで動物のおかれる扱いを向上させ、福祉=よき生を目指そう、というのがメインストリームだったわけです。

この「5つの自由」の基準は今や家畜にとどまらず飼育動物全般に適用しうるものとして認識されつつありますが、おそらくこうした身近な「伴侶」の動物の問題としては、ペット産業や一部愛好家の劣悪な環境での繁殖が問題として立ち上がってきたのが先で、殺処分される犬猫が(問題提起としては以前からありつつもそれが)「福祉」という言葉で扱われるようになったのは(少なくとも身近な肌感覚としては)ごくごく最近に過ぎないのではないか、という気がしています。

今回同行した方から聞いた意見として、
「きちんとした福祉の位置づけができていない」
「なぜ愛護ではなく福祉なのかが説明されていない」
といったような、特に理論面での基盤の弱さを指摘する意見があったのですが、こうした仕事をもっとやっていく必要性を意識させられた(もっというと、世間は全くと言っていいほど無頓着なのだなと感じた)ところがあります。

「福祉」概念についてはいろいろと揺れもある*4ので、これについてきちんとまとめるのもいずれやっていきたいところ。

 

2.アートは動物福祉にいかに役立つのか?

今回のイベントはその趣旨として、メディアや広く一般向けに「アニマルウェルフェア」という語・概念を知ってもらう、というところがあったようで、特に日曜日には映画上映、ワーキングドッグ実演など、敷居の低い多様な企画が実施されていました。
(土曜はどちらかというとメディア対象とか堅い内容とか)

そのなかでも特に気になったのが、アート系コンテンツ。
実際のアーティストの方を呼んだ催しなど、こういった形で様々な取り組みがなされていました。

一般の方々にいかに親しみを持ってもらうかという点で、こうした試みには一定の効果があることについては、私は同意したいと思います。
でも。

 

でも、それは、アニマルウェルフェア=動物福祉の理解に、本当に役に立っているのか?

 

ひとつ具体例を。 
(こう書くと個人攻撃めいた感じになってしまいそうなのですが、その意図がないことを先に明記しておきます)

今回、「リアル猫ヘッド」体験が企画として入っていました。
佐藤法雪氏NHKの「岩合光昭の世界ネコ歩き」のスタジオパークでの企画展をはじめ、さまざまな作品を世に送り出しているれっきとしたアーティストです。
この巨大ネコ人形なんかは私もすごくビビっと感じるものがあります。

で、それを紹介する文章が、これ

アート作品は素晴らしい。
でもウェルフェアとそれは、どのように関係があるものなのか?
アーティストではなくウェルフェアを考える人は、アートをどのようなものとして位置づけているのか?

当日は、思い思いのポーズで楽しみましょう!

楽器持込みの方は参加費無料です。

実際に体験させていただきました^_^
想像以上の楽しさが待っています!!

その楽しさは、いったいどのように動物のウェルフェアの向上に結び付くのか?

 

このような試みをイベントに取り入れることは(もし意識的にやっていれば)非常に意欲的なことだし、個人的には評価したい点です。
それだけに、そこにおける「意識のなさ」、あるいは「思想のなさ」というものが非常に残念でなりませんでした。

特に「動物に〈なる〉」ということについて、敏感なものを持ち、普段からそれについて考えを巡らせている身*5としては。

こうした「楽しみ」が、単なる擬人化的な動物表象の受容であり、動物の本質を全く理解しておらず、表層的で浅薄なものに過ぎない――などと批判されることがないよう、あるいは、そうした批判に対する誠実で的確な応答を兼ね備えているよう、切に祈っています。

 

*1:ただしケモノを含まないとは限らない

*2:最近はこんなところで記事の執筆を頼まれたりもしてるのですが……早く書かなきゃ……

*3:本当になりたてほやほや

*4:動物を使用するという前提を崩すような立場(例えばベジタリアリズム推奨)とか。具体的にはこことか。シンガー的な苦痛に依拠した動物解放論を「福祉アプローチ」としている論文もある

*5:ただしこれは、哲学的考察とは別に、一操演者として「あのケモノキャラクターのほうが明らかに1000倍かっこいいかわいい」と思ったことを否定しない

はじめました、はじめまして

唐突ではありますが、自分の研究にまつわるインプットやらアウトプットやらを発信していく場として、このブログを使っていこうと思います。

 

きっかけとしては、(具体的なことは失念してしまいましたが)とある学会でとある方に

「イマドキ哲学系の研究者は自己アピールのためにWebサイトなりなんなり持ってないとダメだよー、例えば千葉雅也さんみたいに」

などとアドバイスをいただいたことであるとか、

 

はたまた道徳的動物日記さん

davitrice.hatenadiary.jp

が、自分の研究関心とものすごく近いテーマについて書いてらっしゃるのに触発されたりであるとか(奇しくもブログ開設時のご年齢が今の私の年齢と同じだったり)、

 

おそらく挙げていこうと思えばまだまだたくさん挙がるのですが、一番の理由としては、兎にも角にも自分の考えているものを言語という形にして、ほかのみなさまに定期的に伝えるべく発信していく訓練を積むことと、そのための場の必要性にかられて、というところが大きいかと思っています。

 

私人としてなのか、あるいは公人としてなのか、

研究者としてなのか、あるいは一個人としてなのか、

まだまだこの場に対するスタンスが固まり切っていないところも多々あるのですが、どうかよろしくお願いします。

 

一応内容の予定(じみたもの)についてはブログのサブタイトルにまとめましたが、具体的なところは私自身の研究履歴を語るのと合わせて、次の項にでも。